TASTE GOOD?

 

 

これから、今日友達と電話してあーはいはいなるほどはいはいはい!!!ってなったこと書く細かい事情のあれこれは置いといて、とりあえず書く。OK?

 

最近キワマリ荘を知ってからアートかっこいいなって想いが膨らんでいたり、ドラム教えてもらったり椎名林檎に溺れたりした。どこかに、アーティストになりたいって殴り書きしたし、ツイートもした。

 

そんでさ、文章を書くのが好きだってずっと言っていたけど、それちょっと疑ってみた。

文章書くのが好きなの?なんで?って聞いてみた。なぜ is GOD。

 

そしたらさ、「私は表現が好きなんだ」ってところにゴールした。いやうん、起こったことはそれだけなんだけどさ、もう少し詳しく聞いて。

 

 

今は文章という表現方法しかやったことないから書いてるだけで、書くことが重要なんじゃなくて、表現することが1番大切だって気づけた。

 

感情を描きたいの。私、感情が好きなんだ。なるみは論理より感情だねって言われた。そうなんすよ。だから、感情むき出しの詩が好きなの。

 

要は、「感情を表現したい!」ってことになる。

 

一応しっかりまとめると、

 

 

「文章を書く」は手段、「表現をしたい」は目的(本質)

 

 

ってことだったのだ。

 

あ、それで友達の話をするんだけど、私と同じで文章書くのが好きなんだって。だから、電話した。

 

彼女は表現→文章ではないって言ってた。全くしっくり来ないって。

彼女は言語→文章。その土地の言葉がどう変化をとげたとか、言葉が含む色々とか、外国語、古典も好きなんだって。

 

これ、超面白くない?

「文章が好き」っていう共通点があったと思って話してみたら、それはただの好きを活動する手段にすぎなかった。本質的な部分は、かすりもしなかった。

でも表面は同じだから、深いとこさぐって見ない限り違いなんて気づけない。

 

 

 

それで頭に浮かんだのが、大学の学部決定。

 

わかりやすい例でいうと、

 

教育に興味があるから教育学部にいきます!

行ってみたけどなんか合わない…

 

みたいなことを避けるために、

 

教育に興味があるから教育学部にいこうかな。

でも自分って、教育を通して何がしたいんだ?(教育を手段として考える)

全てのこどもたちが笑顔で過ごせるようになってほしい(本質を探って見つける)

これって、教育じゃないとできない?

どのくらい教育って言葉がしっくりきてる?

①いや、やっぱ教育がしっくりくるわ!→教育学部

②他にも子どもを笑顔にできること沢山あるじゃん!→選択肢が広がる

 

 

みたいな、ね。

おお、、ちゃんと講演の内容咀嚼できてるかも。実はこれ、多分教えてもらった内容です。話聞いても全然ピンと来なかったけど、この文章書けるってことはきっともう学びに変換できている。よかった。

 

そういうわけで、本質って大事だよ。

なぜ is GOD。語感ハマった。

 

あ、私、演劇やってみたいな。ぽつり。